前回の記事で、アドラー心理学の「課題の分離」について触れました。
他人の評価という「他人の課題」を切り離し、自分の納得のために働く。
そうすれば、最悪クビになっても清掃のバイトで生きていけばいい、というお話です。
しかし、この「嫌なら辞めればいい」という強気なスタンスは、単なる精神論ではありません。
それを支えているのは、極限まで引き下げた「生活コスト」という数字の裏付けです。
固定費の削減は、人生の「業務効率化」
私は、生活の中にある無駄を削ぎ落とすことが好きです。
仕事で業務効率化を図るのと同じ感覚で、固定費を見直し、不純物を排除していくプロセスに心地よさを感じます。
通信費の適正化: 楽天モバイルへの乗り換え。
住まいの選択: 九州という、固定費を抑えやすい環境での暮らし。
これらは「節約して我慢する」というネガティブな行為ではありません。
人生というシステムから「理由のない流出」というノイズを取り除き、あるべき姿に整える作業です。
掃除をして部屋がスッキリするのと同じで、家計がスッキリすること自体が、私にとっての快感なのです。
自由の単価を安く見積も
多くの人は、自由を手に入れるためには「たくさんのお金」が必要だと考えます。
しかし、私は逆だと思っています。
「生きていくのに必要なお金」が少なければ少ないほど、自由の難易度は下がります。
月30万円必要な生活をしていれば、嫌な仕事でもしがみつくしかありません。
しかし、月10万円で「質素だが豊かな暮らし」が完結していれば、選択肢は一気に広がります。
「自由の単価」を安く見積もること。
これが、資本主義という荒波の「ほとり」で静かに生きるための、最強の防具になります。
「質素」という豊かさを味わう
私の理想とする暮らしは、映画『Perfect Days』や『リトル・フォレスト』、ドラマ『ひらやすみ』に描かれるような世界観です。
派手な消費や贅沢はありませんが、そこには「削ぎ落としたからこそ残る豊かさ」があります。
自分で焼いたパンの香りを愉しむ。
水槽の中で泳ぐ熱帯魚を眺める。
九州の山々を歩き、自然の一部になる。
これらは、高価な対価を払わなくても手に入る、極上の充足感です。
生活を簡素にすればするほど、こうした小さな幸せの解像度が上がっていくのを感じます。
精神と物質の両輪で「ほとり」に立つ
「課題の分離」という精神的な構えと、「低コストな生活」という物理的な土台。
この両輪が揃って初めて、私は本当の意味で「選ばれない自由」を手にすることができます。
会社からの評価がどうあれ、あるいは職を失おうとも、私の生活の質は1ミリも損なわれない。
なぜなら、私の幸福は「他人の評価」や「過剰な消費」に依存していないからです。
これからも、人生のノイズを淡々と削ぎ落とし、資本主義のほとりで、自分だけの澄んだ時間を守り続けていこうと思います。


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