導入:向上のための効率化はいらない
世の中には「ライフハック」という言葉があふれている。
いかに効率よく動き、いかに時間を生み出すか。
その多くは、余った時間でさらに別の何かを達成しようとする、前向きなエネルギーに満ちている。
だが、私が求めているのは、向上のための効率化ではない。
不要な工程を人生から排除するための「標準化」だ。
「干す」という物理的工程の抹消
私の家にはドラム式洗濯機、掃除ロボット、食洗機がある。
これらを導入したのは、家事を「楽にする」ためではない。
「干す」という物理的な工程そのものを、人生から抹消するためだ。
そこに「めんどくさい」と感じる余地すら残さない。機械が動くのが当たり前になり、自分の手が汚れないのが「標準」になる。
生活の中から「自分でやらなければならない作業」が消えていくほど、私の頭の中は静かになる。
資産形成に「やる気」は介在しない
資産形成において、私は「やる気」や「モチベーション」といった不確かなエネルギーを全く必要としていない。
毎月決まった額が口座から引き落とされ、インデックスファンドへ流れていく。
そこには「頑張って貯めている」という自覚もなければ、「もっと節約しなければ」という悲壮感もない。
ただ、設定した仕組みが淡々と回っているだけだ。
資産形成に感情を乗せてはいけない。
感情を介在させるから、数字の上下で不安になったり、余計な支出に迷いが生じたりする。
最初から感情の入り込む隙がないほどに「標準化」された仕組みこそが、最も確実だ。
標準化の先にある「空白」
多くのライフハックが、より良く生きるための「足し算」であるのに対し、私の標準化は、やりたくないことを削るための「引き算」だ。
仕事においても、数ヶ月かかる業務を淡々と終わらせ、見直しを行い、次の効率化を考える。
それは会社のためではなく、業務を「感情の介在しないルーチン」へと変え、自分を仕事から切り離すためだ。
そうして不純物を取り除いていった先に、何か特別な価値が現れるわけではない。
山を歩くことや、温泉に浸かること。
これらは、何かを削ぎ落とした報酬などではなく、ただ単に、自分がその時間を過ごしたいから選んでいるだけだ。
意味のある効率化は、もういらない。
不純物を標準化によって消し去り、3,000万円という数字を積み上げた先で、私は日本一周という「大きな移動」へ出かけたい。
仕事の都合ではなく、自分の肌感覚だけで居場所を決められる。
そんな、ただの空白のような自由を求めている。


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