私と、社会のあいだにある「不一致」
社会に属していると、どうしても自分の意志とは関係ないところで、物事が動いていってしまう。
誰かのタイミングで呼ばれ、誰かの都合でやることを変えられ、誰かの基準で評価される。
多くの人はそれを「当たり前」として受け入れているけれど、私にとっては、どうしても喉に引っかかる魚の小骨のように、ずっと不快なままだ。私が求めているのは、とてもシンプルなこと。
「今、この瞬間にやっていることが、100%自分の意志と直結していること」。
「やる」と決めて、やる。「やらない」と決めて、やらない。
その意志と行動のあいだに、他人の都合というノイズを一切挟みたくない。
ただ、それだけなのだ。
私のハンドルを、誰にも触らせない
会社という組織にいる限り、自分の人生のハンドルを100%自分で握ることはできない。
必ず誰かの「急ぎ」や「要求」が割り込んできて、私の歩幅を乱していく。
誰かの機嫌を伺って行動を修正したり、納得できないまま誰かのルールに従ったり。
そうやって自分の意志が分断されるたびに、私は自分が自分であることの根幹を削り取られているような気がする。
社会に属するから、苦しい。
それは、自分という存在の「決定権」を、外側に明け渡し続けなければならないからだ。
資産3,000万円という名の、撤退作戦
今、私は資産1,800万円まで積み上げた。目標は3,000万円。
これは、何かを成し遂げるための資金ではない。他人から奪われた「自分の時間を、自分で決める権利」を、社会から買い戻すための費用だ。
私は今、戦略的な「撤退作戦」の最中にいる。
感情的に投げ出すのではなく、最も合理的に、この場所を去る準備をしている。
3,000万円という通行証を手に入れた瞬間、私は自分の時間軸を自分一人の手に取り戻すつもりだ。
「気分」だけで、生きていく

そこまでして手に入れたい生活に、大層な目的はない。
ただ、その時々の「気分」ですべてを決めたいだけ。朝起きて、何をやるか。
あるいは何もしないか。
「よくできた」と思うのか「いまいちだ」と思うのか。
それすらも、自分一人で完結させる。
誰にも時間を奪われず、誰からも評価されなくていい。
自分の意志と行動が、再び一本の線でつながる場所。
そこへ辿り着くことだけが、今の私の唯一の「正解」だ。

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